これからの社会
何かに腹が立つとき。誰かのことが嫌いになりそうになった時。
そんな時は相手の気持ちになって考えてみる。
彼らは一体何が嫌でこんなことをしたんだろう。それを考えることで避けられることもあるかもしれない。
東京大学を卒業したら、普通は官僚になるよな。
でも中にはなれない人もいる。試験の当日腹痛で調子が出なかったり、もしかしたらもっと理不尽な理由でなれないかもしれない。そんな人たちはどこで働くのでしょう。
たとえばそれは電力会社だったのかもしれない。あるいはメーカーの研究職かもしれない。商社の管理職候補かもしれない。
小さいころから、栄光ある仕事について働くために死ぬ思いで勉強してきた人が最後に目標からずれてしまった。
職業に貴賎は無い。しかもインフラや流通は社会の根幹だ。近所の人たちから「すごいわぁ」と思われる機会は大蔵省より少ないかもしれないが、それなりにモチベーションは高まるはずだ。
ところが80年代、90年代になり、世の中は悪質な拝金主義。
ギャンブルで金かせいで、Tシャツ、ジーパンで高級外車を乗り回す奴がもてはやされる。
作業着を着て社会のために働いてる自分たちはどうか。真夏の暑い中長袖のスーツ着て汗ダラダラ流して働いている自分たちはどうか。
もしかしたら、官僚になれた人たちだって思ってたかもしれない。
「もっとうまいこともうけて、他人にうらやまれるような生活がしたい。いや自分たちがやっている仕事は崇高でそれに気づかない一般の奴らは奴隷なんだ。俺はお前らとは違うんだよ。」
原子力やスパコンはそんな人たちが自分たちのコンプレックスを振り払って「人間以上」になるための「希望」だったんだろう。
でもふたを開けてみれば、ノーパンしゃぶしゃぶとか、たかだか4000万くらいのマンションを愛人に買ったり、競走馬買ったり。そんなつまんないことで逮捕された厚生省の役人いたよね。
いっぱいいろんな人を蹴落として、見下して、自分も嫌な思いをして、すりへって、原発爆発させて、結局人から嫌われて。それで得た金や名誉は彼らを満たすことができたのだろうか。はじめて会社の金でちょっと高めのホテル泊まった時ほどの感動は無いと言い切れる。
今なら帝王ははっきり言えるよ。「希望」なんて全然良いものじゃなかった。
あらゆる災厄の詰まったパンドラの箱から最後に出てきた「希望」はパンドラの箱の中に入っている以上やはり災厄だったのだと。
人からもてはやされたい。人に羨ましがられたい。すごいと言われたい。ほめられたい。
つまるところ栄誉なんてものは求めるものではないわけだな。頑張ってすりへっても金でできることなんてたかが知れてる。(そういえばいま獄中のあの人は金で買えないものはないっていってたなぁ・・・。)
栄誉、栄光を求めず、人より抜きんでようなどとはせず(どうせ人間の差なんてドングリの背比べか・・・。)、職業による差別をしなくてすむような生活が保証できる社会。
昔帝王が言った「働かなくても生活できる社会」っていうのはそういう意味だったわけか。(いまあるエネルギーやシステムはメンテナンス要員が必要だからすべて未完成。原理的にすべて途中経過的なもの。)
すまん。いままで電力とか誰がどうやって作ってるのかあんま考えてなかったよ。悪かった。
あと僕も自分の仕事に過度なプライドを持つのやめるよ。できることをこつこつとやるっす。どや顔禁止だ!