ちょっと復帰
連休。
実家に帰ってきたので今日はネットに繋がりました。
すごいよ!速いよ!キーボード。
まあ兎に角「実存の賛美歌」は多少破廉恥な物言いだったとしても奴隷制については言及する必要があるので筆を取りましょう。
まず、一言。
「お前らはゾンビだ!」
先日から帝王の怒りはこの点に集中しているね。
ヴードゥーとか、ハイチの独立運動とかは勝手に調べていただくとして、まあ言わせろ。
ゾンビとは別に腐ってるとか、醜いとか、ウィンチェスターM73で撃たせろとか。
そういうことを言いたいわけではない。
要はあれだろ。ゾンビっつーのはゾンビパウダーで一旦仮死状態にされた奴が人権を失い牛馬の如く働かされるようになるっつー一連の社会的儀礼的行為の産物だよな。
社会において効率的に奴隷を獲得するための通過儀礼。本当に仮死状態にする必要は無い。
事実かどうかは知らんが、ゾンビは法体系に沿った刑罰だ、なんて言う人もいる。
西洋人はそれを宗教とか言ったりするわけだけど、そんなこと言ったら学歴で就職が決まる社会システムとかも宗教になっちゃうからね。帝王が言うのもなんだけど言葉は注意深く使わなきゃね。
自由意志を持った自律した人間同士が契約に基づいて社会を構成している。
この考えが欺瞞だったとしても、この考えを認めなければ社会を構成する人々は全て奴隷と本質的には同一のものでしかないよね。
だから帝王は、自由意志や魂を持とうともせず隷属を自らに強要する連中のことをゾンビと呼んではばからないわけですよ。
黒人が奴隷だったのはなぜか。それは彼らが魂を持っていなかったからだね。
社会とかシステムとか言う概念はキリスト教圏の人々が開発したものだね。だから魂を持とうなんていっても、結局はそれだってキリスト教の人たちの文法上にあるものでしかないんだね。
我々日本の祖先は勤勉だったのでこの理屈はすぐに理解できた。だから日本独自の魂を開発しようとして様々な実験と失敗を繰り返してきた。
外側は黄色で中は白いバナナなんていう屈辱的ないわれ方をされても戦ってきたのさ。
結論はこうさ。
魂や自由意志は、それを持ちたいと思った者だけが持てるもの。
だから、自由を獲得する為にはそれを認めないものと戦わなきゃいけないってことだね。
暴力ではなく言論とか経済力とかね。
やりたくない仕事、明らかに体に負担がかかる仕事を無目的にやってるとしたら、それはゾンビだね。この「目的」っていうのも他人から押し付けられたり、騙されたりしている場合も多いから、全身全霊で考える必要があるね。特に退職金がなかったり、サービス残業のある会社は要注意だぞ!
「この会社は夢を追う人の会社だから、お金とか言ってちゃ駄目だよ」とか言われたらそいつをぶん殴ってでも辞めるべきだね。殴りでもしないと踏ん切りがつかないだろう?
仕事っつーのはお金を貰うから仕事なのであって、労働と収益がつりあってないと感じたらそれに見合う金額を要求すべきだね。
「給料もらえなくてもいいから働かせてください!」なんていってる奴がいたら全員でリンチだ!
といつの間にか魂とは真逆の方向に進みつつある罠。
自分の欲望を正当化することこそ21世紀の自由意志であり正義とすることにする。