俺の屍

【アンケートのお知らせ】「俺の屍を越えてゆけ」プロジェクトに関するアンケートを実施中です‏

っていうメールがPSNから来た。さっそく答えた。

大好きなゲームだからねー。主題歌がよかった。『花』だっけ。ワイルドアームズのオープニング曲に匹敵する神オープニング曲だったよな。

槇原敬之の『世界に一つだけの花』はなんか悪平等を想起させる歌詞だったのに対し、こちらの『花』は懸命に生きることが美しいと感じさせる内容だったように感じる。しまったマッキーディスっちゃったよ。のろわれる?

アンケートに答えている間久しぶりになんでこのゲーム好きだったのか考えたけど、なんかあれだな。好きなものがなんで好きなのか考えるのって無粋だな。いっぱいいろいろ書いたけど、自分で書いててなんかちょっとずれてるように感じた。

学生のころギリシア文学の授業を受けた時に、ギリシア文学は『模倣の中からの創造』に特徴があると聞いたことがある。まあ当時は紙とか貴重なわけだから、吟遊詩人による口頭伝承が物語の基本的な流通経路なわけだから、ある意味当然。しかしそれが、文化や宗教の異なる地域で受け入れられてきたからこそ今の世の中でもオデッセイやイリアスを読めるわけだよな。

考えてみれば今、僕が読んだり楽しんだりしているゲームや小説だって、オリジナルな部分なんてほとんどない。大体が誰かの受け売りやそれこそ『模倣』だよな。でもそれが楽しかったり、いろいろ考えさせられる契機になるのはそこに人類共通に持っている普遍性が介在しているからに他ならない。「生まれた!生きた!死んじゃった!」みんな一緒だ。誰一人その枠組みの中から外れる人はいない。

桝田省治のゲームは『リンダキューブ』と『俺の屍を越えてゆけ』しか遊んでないが、どちらもこの普遍を強く感じるゲームだった。取り説の桝田省治氏も、結婚や出産などの経験からストーリーを着想したと言っておられた。(・・・と思う。どうだったかな。手元にゲームがない。実家だ。)

リメイクや続編もいいが、今の桝田省治が感じている人生をゲームにたたきつけてほしいと思うのはわがままだろうか。それができる稀有なクリエイターの一人だと思っているんだが。。。


あと懐かしさのあまりCMを張ってしまう。