ただいマティーニ

こんな感じね。俯瞰。

うー。二日酔いだよ。


なんか夢の中でひたすらミネラルウォーターを探し続けていたよ、帝王は。
飲めども飲めども渇きは癒えず。

当たり前だね。本当は飲んでないんだから。
夢の中でいくら水を飲んでも、飲み足りることは無いんだ。残念ながら。



それ以外にも非常に嫌な夢を見たけど、割愛。



魂魄がどうとか、林羅山がどうとか、帝王の少ない語彙で哲学科時代の友人に
昨日の日記で書いた質問をした所、


「まあ、後者だろう」


という回答を短く戴きました。
ミッション・コンプリート。


犯人は西田幾多郎門下の京都学派で。





それ以外にも、貴重な意見を戴いたよ。
彼は、とてもリベラルな人だったので、閉じてない帝王の世界観を認識はしてくれたね。



ただ、芸術やアフォリズムはやっぱり、軽くみてるみたい。



「言葉を尽くせば語れるだろう。」というのが彼の考えなんだそうだ。
こういう言い方をする人は帝王の周りにも沢山いるので、理解は出来る。





でもやっぱり駄目だね。帝王は言葉を尽くしても語れないものがあることを知っているから。


こうであるから、こうなる。しかし本当はそうではなくて、こう見ている。ところが、それはこういう意図があり、実はそれすらも意味を成さない。それを言うことにはとある目的があり、実はそれにも大きな意味があるようでいて、ある一つの命題を立てると、やっぱり意味があるようでいて意味を成さない。しかし語ることに意味がないかといえば、実はここまでの物言いが既にある一つの言明を成していて、それは非常に重要なことであり、またやはり意味を持たせることが非常に困難であるということが言える。だから、この状況においてこういう言説を立てていることの意味をあなたに感じ取っていただくしかない訳だが、それを無いものとして捉えて頂く事もまた、この言説を発することの一つの目的となっていることを敢えて否定することはしない。だから、ここまでのことを語った上で最初の段階に戻るとすれば、実はやはり最初とは違った、様相を議論が呈しているので、やはり意図は十分に完遂されているかもしれない、只一点、忘我ということを意識すれば、そうなる。しかしそれではやはり、不満なので、私の存在に注目して欲しい。いったいそこに何が起きたのかを考えることで、さらに結論は高い所へと登るはずだから。それを意識することが目的の一つにもなりうる訳です。だからこうであるから、こうであるということは、そのようにしてこうであるから、また・・・・



と言う風になるわけですよ。言葉を尽くすと。




結局一言で、

「神が!」

とか


「精神が!」

とか


「虹の色数が!」



とかいって、砂に枠を当てはめた言い方をせざるを得なくなる訳です。



だから恐らく、「言葉を尽くせば語れるだろう」
と言う為には、帝王が持っている何かをあきらめなければならないのです。



それがwodd君がこの間、「牙を抜かれる」、「不渡り手形が溜まっている」
という言い方をした時に、帝王が最も感銘を受けた事柄なのです。



だから、帝王はやっぱり精神世界に帰ってきました。


人々が精魂込めて作り上げた塔を上空から俯瞰するこの喜びは何にも変えがたいのです。
塔の内部は見えないかもしれませんが、この翼を捨てることだけは私には出来ないのです。


たまに、塔に窓を開けている人には私の姿が見えるでしょう。
手を振ってみてください。


猛烈な勢いで粘着します。ご注意を。