現象システムについて書くよ(導入編)

たまには自分で撮ったものを


倦怠感があるね。


なんか考えれば考えるほどアレとかアレとかのパクリじゃん。
帝王も地に落ちたな。とか言われるのかと思うと・・・。


当たり前じゃん!本当ならのびのびと大空を飛んでいたいのに、
わざわざ地面に降りて、言葉をつむがなきゃなんないんだから!

地に落ちたんじゃない!地に下りたんだ!自動詞だ!
その皿は俺が割ったんじゃない!割れたんだ!ぶほー。





・・・。




じゃあ、書くよ。




既に、現象システムについて帝王から直にだらだら聞かされた(普通に話すと2時間ぐらいかかる)臣民の諸君はご存知だろうがこのシステムは人間の性格を、その人が何を最も大きな価値判断基準として持っているかという「出発点」とその人が、自分に何が足りないと思っているか、どこに向かおうとしているかという「志向性」、そして結果としてどんな性質を得ているかという「限界点」をみることで極めて大雑把にカテゴライズする、分析ツールだね。良くあるあれだね。別に真理でもなんでもない。ただこちらから能動的に分けたんだよ。意味も特に無い。



まず、判断基準。クライテリアは4つ。

これは、世の中で何でか知らないけど「良い」と言われていることを4つあげてみたものだよ。




A:勝ってるか、負けてるか。

B:楽しいか、つまらないか。

C:レベルが高いか、低いか。

D:正しいか、間違ってるか。



(まあ待て!落ち着け!もう少し後から面白くなるから、少し我慢して!お願い。)




どれも良いよね。


この四つが全てそろったものが世の中では誰も文句がつけられない最高のものであるのですよ。



映画を例にとってみようか。



例えば、映画はビジネスだから利益が上がらなければ、良いものとはされない。

しかし、そのレベルが低いと非難轟々。

楽しくないと意味が無いけど、おしゃれじゃなかったり、社会的通念に照らして道徳的にちょっと・・・。とか単純におしゃれじゃなかったら、やっぱり非難が来るよね。







これらの中で、その人がどのクライテリアを「基本」にしているかということをまず考える。



で、そこからその人が自分はどうなりたいと思っているのかを考えるんですよ。




たとえば、Aの「勝つ負ける」を一義的要素として持っている人は、勝つだけじゃ駄目なんですよ。世間から勝つことによって「正しい」という承認を欲していると。




だから、このA,B,C,Dはそれぞれ隣接するものに何かしらの形で移行しようとする志向性を持ってるわけです。



志向性に依拠して捉えた場合この四つは以下のような表現に言い換えることが出来る。




A:変化

B:恒常化

C:普遍化

D:正当化




まず、物事は変化する。それがその状態を持続することで一旦恒常化する。
そのままの状態で時がたてばそれはより強度を増して普遍化する。
さらにそれが、他の普遍化した概念と差異を生ずることで正当性を要求する。
そして、正当化は変化を希求する。



このような繰り返しを物事に見出すことはそれほどおかしな話ではないと思う。





そして、ここからは多少強引ではあるが、帝王がそれらの段階を短い単語で言い表してみる。どんな表現でも良いし、またその表現から人が受ける印象、イメージは多様かもしれないけど、一応ある意図に基づいて表現してみる。



A:勇気

B:愛

C:真実

D:正義




だんだん見えてきたかな。


例えば、「勝つ、負ける」あるいは「白黒はっきりさせる」
といった感性を第一義的に持ってる人は勇気の人なんだね。

こう言うと、そんなに悪いイメージがしないだろう。


「楽しい、楽しくない」なんてCタイプの人から見たら軽薄以外の何者でもないかもしれないけど、要はその事物、状況を愛しているということなんだね。


また、過度にレベルの高いものを追い求め続ける人たちには「真実」は近いものだろうし、頭が良くて「正しいこと、間違ってることを」瞬時に見抜くことが出来る人々は、理屈っぽく見えても実は正義の人なのさ。




注意しなければならないのは、この本性が基本的には変わらないという点。
(この段階で帝王とこのシステム自体がBタイプ的特性の産物であることを物語っているわけだが。)



変わろうとするからこそ人の性格には「志向性」が生ずるわけだけど、変わろうと思ったことそれ自体が既にその基本となる性格に依拠した動機付けを持っている以上その基本性質だけは死なない限り変わらないというわけだね。





だから、例えばCタイプの人は、経験を積み重ねて自分を高めていく求道者としての生き方を「良い」ものとして捉えるわけだけど、これは結局最終的には楽しくなりたいわけですよ。

でもその人が誰にも文句を言われること無く楽しむ為には社会的承認を得なければならない。

でも社会的承認を得るためにはそれを言葉にして「説明」しなければならない。

すると、自分の積み上げてきた世界、経験、知識は急に薄まったものになってしまう。

だからCタイプの人はよくあせってBタイプに行きがちになるね。すると何が起こるか。

そう、自分の知識を蓄えてそれをある程度共有する仲間と趣味的な世界を構築するオタクちゃんが出来上がるわけだ。


社会的承認に無頓着で勝ち負けに対する意識に乏しいオタクちゃんだよ。



他にもあるぞ、例えばAタイプの人が社会的承認をあせるあまり「楽しい」こと「レベルの高いこと」を度外視する。そう、中途半端に理論武装した金の亡者が出来上がるわけだ。


さらにDタイプ。頭がよく、物覚えもいいDタイプは実は誰よりも「本当のこと」を求めている。でも彼らがその知識と理性を、利益を上げることに使わずにただひたすら真実の追究のみに費やすとどうなるか。


楽しくもなんとも無い上にお金の儲からない理論家が出来上がるわけだ。












この組み合わせで物事を考えてみよう。





悪い例から、




A→D:理論武装した金の亡者。あるいは権力から来る誤った正義。

B→A:自分を過剰にすごい人に見せたがる暴力的な快楽主義者。あるいは、愛が生み出す凶暴な権力。

C→B:趣味的な世界に埋没する求道者。あるいは、過度に強固な観念から発生するゆがんだ愛。

D→C:何も生み出さない理論を信奉する狂信者。あるいは、中身の無い空虚なデータベース。




他にもこんな組み合わせもあるね。




C→A:勝っているし、レベルも高いが、社会的に間違っている上に誰にも理解されず面白くもなんとも無い日本的なお父さん。よく脱税とかで捕まる。



B→D:愛情豊かでセンスがよく、楽しい上に頭も良い対人関係の超人。しかし貧乏でレベルが低い。




帝王はこの組み合わせを「間抜け」と呼んでいるよ。間が抜けてるからね。







さて、良い組み合わせについては次回。そこでwodd君の質問にも答えることが出来ると思うよ。


テーマは「善行の反動」だよ。