自由主義

gen6652005-10-13

さて、自分が自由主義者であると半ば後付的に決めてみるとこの世の中にはむかつくことが非常に多い。

ちょっとした決まり事や社会的ルール、国家の利益といった全体主義的な要素の一つ一つに過敏に反応してしまう。

自我と「怒り」には密接な関係があるように思われる。


考えてみれば、利益の争奪戦とか闘争ということが無ければ、境界を主張する必要などは無いわけであるから、自由を主張しなければならないと言う事態自体に争いが前提となっていると考えて差し支えは無いのではなかろうか。

自由があるから争いが起きるのか、争いが起きるから自由が必要となるのか。
またしても鶏と卵。


しかし少なくとも全ての行動を自分で決めて行っている限りは非常に気が楽だ。
失敗は全て自分のせいに出来る。これはとても気持ちのいいことだ。


だから本日、俺の今月の生活費が残り100ガメルを切ったとしてもそれは自分のせいであり、どうやら俺には自由を行使する為のセンスがあまり無いらしい。やばい。